キャット(猫)のページ   
  「猫のページ」の目次 著者:愚足 釋裕光(久保 裕)
わが家の歴代の猫たち  2020年12月31日
コトラ逝く     
2020年11月23日
元気なタマちゃん  
2018年5月6日
タマちゃん     
2016年12月24日
わが家の守り猫
   2016年7月24日
猫にパソコンを教える  2016年1月3日
愛猫チビの死       2014年7月20日
京都本山の報恩講    2013年7月20日
猫の恩返し(小猫のチビの恩返し)   2008年10月号 『月刊ずいひつ』に掲載
「キャットタワー」の製作 2006年12月号 『ぱんぽん』に掲載
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    わが家の歴代の猫たち

 生後2か月雄イヌを飼うことになったのが1992年9月のことだった。シェトランドシープドッグの血統書付きの毛並みの良い雄イヌだった。久と名付け、キューちゃんという愛称でよんだ。体重は20㎏ほどの中型犬に育ち、雨の日も雪の日でも一年中毎日散歩して、近所を歩いた。家の中で一緒に過ごしていた。
 そんなキューちゃんが、12歳になったときに、かいせんに全身をやられて、
2004年5月29日とみた動物病院で治療した直後に心肺不全で亡くなった。
庭に墓石をつくり葬った。

 それから1年後、家に子連れのノラ猫(おかあちゃん)が現れるようになった。
 1.おかあちゃん  外猫
 2.チビ      2005年10月~2014年7月18日没
 3.おねえちゃん  2005年10月没
 4.コロ     
 5.おおおやねこ 外猫
 6.エーちゃん 2009年3月~2018年8月没(2014年3月両耳切除ーがん性腫瘍)
 7.ビーちゃん  2009年3月~ 不明
 8.シーちゃん  2009年9月~ 2016年7月15日没
 9.トラ     外猫
 10.コトラ    2008年8月~ 2020年11月22日没
 11.コロ(2代目) 外猫
 12.たまちゃん  2015年~
 


 
 


  コトラ逝く    2020年11月23日

  猫の気高さ矜持のようなものを示したネコだった。
 この3日は水しか飲まず衰弱していた。ふらつく足で私の膝の上に来て熟睡していた。 昨日は日の暮れるまで居間のテーブルの下で寝ていたが、ふと気が付くと姿が見えない。家中を捜したが居ない。近所を捜し歩いてみるが見つからない。この日は家には帰って来なかった。少し冷え込んだ早朝に、また近所を捜したが見い出せなかった。 どこへ行ったのか。
 ふらつく自らの足で、しっかりと自分の行く場所で、光明につつまれ静かに往生して逝ったのだ。
 私は身震いするほどの感動を覚えた。私もそのような往生をしたいと思っている。
 5年前の愛猫コトラのポップアート風にレタッチした写真は大きな額に入れて飾っている。




 



天井の梁に上るタマちゃん

    元気なタマちゃん    2018年5月

 わが家の猫コトラとエーちゃんは歳とって、すっかりおとなしい。タマちゃんだけは元気がいい。天上の梁に上って得意になっている。人の入れないような隙間や箱の中に入って隠れていたり、日当たりのいい所にあるマットレスやソファー・カバーの下に潜り込んで居眠りしている。
 5月になり庭の花木も青々として草花も色とりどりの花を咲かせている。わが家の庭は自然にまかせて雑然、混沌といているが、住人も平然としてそれを楽しんでいる。タマちゃんと一緒に庭で一時を過ごす。動画(ビデオ)を撮ったので下の写真をクリックして、しばらくご覧ください。

   

   わが家の庭で動画(ビデオ)  (35秒)





獲物を見つめる
(2017年7月撮影追加)



 
タマちゃん
2016.11.27
 
  タマちゃん
    2016年11月

 わが家の守り猫シーちゃんが亡くなって半年もたたないある日、生まれて一年ほどの痩せこけた子猫が突然に現れた。目が大きく毛並みも柔らかく綺麗で不思議と人なつこい。「自分の家に帰りな!」と追い出しても、すぐまた入って来る。シーちゃんが居たら威嚇して追い出しただろう。主人の居ないときは食卓の椅子の上で寝ている。


 名前はタマとする。
 先月突然に現れて一か月たって、すっかり家猫になってしまった。
やせこけの猫が餌をよく食べて顔が丸くなってきたら、ずいぶん前に多摩川に現れて人気になったアザラシのタマちゃんを思い出した。そこでタマと名付けた。
インターネットで調べてみると原産国アメリカのオシキャット系に似ている。足も長く尻尾も長い。人なつっこく甘えん坊。頭が良く犬のように忠実、活発で人と遊ぶ事を好む性格といいことが書いてある。


 2016年11月22日撮影




 
   わが家の守り猫 シーちゃん

 わが家の守り猫が姿を消して帰らなくなった。一週間前から朝いつもの場所に座っている姿が無い。数ヶ月前から餌も少ししか食べず痩せてきて元気がなかった。太平洋から日が昇るころエアコンの屋外機の上に座って朝日を浴びている。わが家に居ついて七年、しかし決して抱かれたりしないアンタッチャブルな気高い猫だった。そして外から来るノラ猫の侵入を見守り寄せ付けない強い猫だった。残る二匹の猫は甘えん坊なのに不思議なわが家の守り猫だった。
 どこに往ったのか!オーイ!と呼んでみる。


                 2016年7月24日


 
コトラと絵を描くyuriko k.
  猫にパソコンを教える

この正月の休み、猫にパソコンを教えた。3コマ漫画(by yuriko k.) 「うまくいったニャー!」樹心流情と打ち込めた。
   2016年1月3日

  「樹心流情」のホームページ


 

庭の東側の侘助の木の下に葬る


死の1か月半ほど前のチビ
口内炎が進み、だんだんと
食事ができなくなった。



文芸春秋社発行
浄土真宗本願寺派第24代門主 
大谷光真著



 
 愛猫チビの死


 いろいろ手を尽くしたけれど、4.5kgあった体重が1.9kgになり最期は水も飲まなくなり、7月18日 午後7時半過ぎに静かに息を引き取った。前の晩はヨタヨタと歩きながら私の寝ていた毛布の中に入り込んできた。足元でうつ伏せになって一緒に寝ていた。その日の朝から一日中脇に敷いた毛布の上に横たわったままだった。"ちびちゃん!"と声をかけると尻尾を微かに振った。 野良の捨て猫が家に住みついて、仏語の「生死」を知らない生き方に、寂しさを超えて感動を覚えた。人間は生死のはざ間を欲望と迷いと不安の中にさまようが、猫は自然に死を許容して、愚痴ももらさず、気高さを感じるのである。そして今、何か不思議な静寂が漂っている。
 翌朝、庭の東側の白い花が咲く侘助の木の下に葬る。2005年3月生まれだから9歳半の命だった。               
 


  謂れは左の本を参照ください。
  関連記事:仏教入門のページ 

○愚足の凡夫とは。
 凡夫というのは、迷いと疑いと煩悩がわが身に満ちみちて、欲は多く、愚痴(ぐち)も多く、怒り、腹立ち、嫉(そね)み、妬(ねた)む心が多く、ひまがなく、臨終の一念まで、止まらず、水火二河の白道のたとえに表されている厳しい人生を生きる者のことである。
 (親鸞聖人『一念多念文意』より)

「弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんと思い立つ心の起こるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたもう
なり。」
 (『歎異抄』第一条)

 「愚足」については「足のページ」を参照ください。





                     (2014.7.20記)



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 京都本山の報恩講に参拝
          2013.1.7

パソコンでいろいろな情報交換をして付き合うのは楽しいですね。

うちの猫に言われました。
「あほになれ あほにならねば 此の度の
浄土参りはあやうかりけり」

これは実は昨年の築地本願寺の掲示板に書かれていた言葉です。14日から京都本山の御正忌報恩講に参拝してまいります。

  報恩講
 報恩講は宗祖親鸞聖人の遺徳をたたえ、その恩を報ずる法要です。親鸞聖人33回忌に際して報恩講と名付けられて以来、毎年宗祖の御命日を縁として、脈々として営まれています。
 親鸞聖人は、阿弥陀如来の本願の教えを明らかにされて、その90年の御生涯を念仏の道一筋に歩まれました。今、私たちが浄土真宗の救いのよろこびにあえることも、聖人のご苦労のたまものです。
 報恩講に際して蓮如上人はお示しになられました。
 「すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身を今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことの聖人報恩感謝の懇志にあいかなうべけれ」

他力の信心を得て浄土の往生を決定することこそ、親鸞聖人の御恩に対するなによりの報謝となるのです。

親鸞聖人(1173年5月21日ご誕生
       1263年1月16日ご往生)






 
小猫のチビ











書斎の机から外を見ているチビ










2006年(1歳半のころ)
 
猫の恩返し(小猫のチビの恩返し)
 

 わが家にノラの小猫が住み着いて、もう3年になる。ノラの母猫が、そろそろ親離れさせようと、生まれて間もない2匹の小猫を連れてきた。1匹の小猫は、出産のときに痛めたのだろう、左後ろ足首の関節が曲がっていて、足を引きずりながら三本の足で懸命に母猫のあとについて来た。乳も十分にとれなかったのか、いかにも貧相で、このままでは、いずれカラスに食われてしまうか、車にはねられて死んでしまいそうな三毛の雌の小猫だった。もう1匹は精悍な目つきと太い尻尾をもった、たくましい小猫だった。
 片足の曲がった小猫は、出してやった餌に、人を警戒するようすもなく食べた。そして、わが家の庭が気に入ったのか安心して住み着いてしまった。左足に血豆をつくりながらよく歩いた。一年も経つと不思議と曲がった関節の付け根が元にもどってまっすぐに歩けるようになっていた。高い塀や、天気のよい日は、隣の家の屋根の上で居眠りなどしているのを見かけて、普通の猫らしくなったものだと、動物の自然の治癒力を知らされた。
 おく病な猫だから、それからは家の中で飼ってやった。ニャーニャーと鳴くこともほとんどなく存在感の少ない小さな猫ながら、わが家の一員となったのだから「チビ」と名づけてやった。毎日の夫婦の会話も、猫のようすのことが、まずは話題になる。パソコンを置いてある私の机の上の陽だまりで、よく丸くなって寝ている。それだけでこちらも癒される気持ちになる。小説家がよく猫をテーマに作品を作るが、猫の孤高さと人に愛される存在があるからだろう。

 それから3年たった5月の初め、いつものように夜テレビを見ていると、チビは、おしっこをしに外へ出て行った。こちらが寝る前には帰ってくるのだが、その晩は、なかなか帰ってこない。雨戸を出入りできるように少し開けて、寝てしまった。ところが翌朝になっても帰っていない。昼すぎても帰ってこないので、バス通りまで出て、まさか車にはねられていないか探してみた。近くの畑や林の中に動けなくなっていないかと思い、「チビちゃーん!」と呼んでみるが、どこにも見当たらないし、まったく反応もない。
 その晩も帰ってこなかった。カレンダーを見ると新月の日だった。曇り空の夜は星明かりもなく真っ暗だ。
 翌日も一日待っていたが帰ってこなかった。坂を下りた近くにお寺がある。暗黒の深夜に崖の排水溝に落ちて、お寺の鐘つき堂の裏の藪の中まで転げ落ちたにちがいない。行き先も分からなくなって、日中も葉の雫でもなめながら生きながらえているのかと思ったりした。二日間、ノラ猫の生活経験のないチビが生きていけるのか、「千の風になって、もう空を飛んでいるよ」とあきらめた。
 三日目は晴天だった。東京から帰ってきていた娘と昼食をとって居間で雑談をしていた。すると娘がとつぜん庭を指差して、
「チビちゃんが帰ってきたよ!」
と、大声で叫んだ。見ると悄然とした姿で庭の片隅から居間の方にゆっくり歩いてきた。
「チビちゃん、どこにいっていたの!よくまあ、車にはねられたり、雄猫に襲われたりせずに無事に帰ってきたこと!」
と、家内が抱き上げて家に入れてやると、いつもの水のみ場で、小さな舌で水をなめるように飲んで、出してやった餌も食べると、座布団の上で丸くなって寝た。こちらも皆一息入れて、ホッとして安堵の気分にひたったのであった。
 夕方になってチビは目を覚まして、また餌を食べて、しばらくすると私の足元に来てニャーニャーと鳴く。そして、居間の出入りの戸のところまで行って、私の方を見て、また鳴く。後をついて行って外を見ると、一ヵ月ほど前から時々わが家に現れていた白と黒の毛をしたノラの猫が庭に座っている。やせていて鼻の頭や足の付け根には傷があり、貧相な猫だった。こちらをじっと見ている。おなかがすいているんだろうな、と思った。皿に餌をのせて庭先に置いてやると、ぺろっと食べると、すぐに姿を消してしまった。
 そうか、このノラ猫が、迷子になったチビちゃんを家まで連れて帰ってくれたのだ。猫の恩返しというのもあるのだと思い、それからは、その白黒のノラ猫が来ると必ず餌を出してやることにした。

 2008年10月号「月刊ずいひつ」に掲載



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高さ160cmのキャットタワー
キャットタワーの上の絵は
喜田祐三氏の「シンガポール」




キャトタワーの階段にいる「チビ」






























左「コロ」、右「チビ」
「コロ」は平成17年末ごろわが家に現れ「チビ」の友だちだったが、平成19年12月交通事故で死んだ

 「キャットタワー」の製作


 のら猫の「チビ」が、はじめて我が家に来たのは、梅雨がそろそろ明けそうな、平成17年の6月の末ごろだった。のらの母猫が、子猫を2匹連れて、我が家の庭先に現れた。子猫は2匹とも生まれて2ヶ月ぐらいの三毛の雌猫だった。1匹は、やせた貧相な猫で、後ろの片足をひきひき、必死に母猫の後に従(つ)いて来た。よく見ると、左後足のひざ関節から下が逆向きになって、足の裏が上を向いて、足の先は引きずって血豆になっていた。餌(えさ)を出してやると、それから毎日、のら猫の親子連れは現れた。
 しばらくすると、母猫は子猫を親離れさせて独立させようとするのだろう、1つの皿に餌を入れて出しておくと、3匹一緒に、仲良く食べていたのに、母猫がまず食べて、子猫がその皿に首を突っ込むと、「シャー!」といいながら猫パンチで子猫を追い払うようになった。足の不自由な子猫は、いちばん最後の残りに有り付くことになる。なんとか手なずけて、避妊手術をしてやらないと、この先が心配になっていたから、そのころから皿を3つ別々に出してやるようにした。そして、少しずつ近づいて、こちらから手を出しても逃げないようになっていった。しかし母猫は、生粋のノラだから、どうしても懐(なつ)かない。足の不自由な子猫は、もう、ここしか居所がないと、早々に決めたのだろう、抱(だ)っこもできるくらいに、なついてきた。
 2匹の子猫は、庭でじゃれ合いながら、よく遊んだ。庭仕事に使ういすに乗ったり降りたり、箱の中に隠れて、手足だけ出して相手を呼んだりしている。見ていて飽きることがない。大きい方をオネエちゃん、足の不自由な方をチビちゃんと呼ぶことにした。
 いよいよ、獣医に連れて行って避妊手術の決行日を、三ヶ月たった十月のはじめの天気のよい日とした。まず、懐いている「チビ」を、朝の餌をやるときに捕まえて、洗濯用のネットに入れ、ダンボール箱に詰め、獣医に連れ込んだ。「チビ」は静かにおとなしくしていたから、無事に手術も済んで翌朝、連れ帰って庭に放してやった。
 一週間後、オネエちゃんの番になった。箱に入れるまでかなり抵抗したが、無理やり押し込んで獣医に連れていった。ところが、小さな病院の診察台の上で、箱を開けたとたんに飛び出して、室中を逃げ回った。なんとか取り押さえて、獣医にお任せして帰宅した。
 翌朝、獣医から電話があり「昨日、手術はうまくいったんですがね、麻酔から醒(さ)めて元気なことを確認したんですが、今朝、心臓麻痺(まひ)で死んでいました」と。
 前の日に病室の天井まで飛び上がるほど、激しく逃げ回ったストレスが大きかったのだろう。生まれて6ヶ月ほどの子猫に手術は、可哀想なことをした。獣医に手術代とペットの葬儀社への代金を払って、供養してくれるように頼んだ。
 それから、「チビ」は、遊び相手もいなくなり、我が家に居(い)つくようになった。のらの母猫は、子離れを済ませたと決め込んだのか、その後、我が家に現れることもなくなった。自分たちの居場所を、ちゃんと心得ている猫は、賢い動物だと思った。
 「チビ」は、少食で、皿にのせてやる餌を半分は残して食べない。母乳が十分に摂(と)れなかったのか、歯の育ちもよくない。小さなやせた子猫は、なかなか大きくならない。オネエちゃんは上って歩いていた隣家との境のブロック塀にも、「チビ」は片足では登れない。しかし、庭に出て、バッタやカマキリなどの小さな虫を捕まえてきたりする。よく動き回り、毛糸の端切れやゴルフの球で遊ぶ。家の中でも、オシッコやウンチをする場所は、教えてやると、すぐ覚えた。
 「チビ」は、目の上から額まで黒く、頭と耳は茶色、背中は黒と茶と白、胸からお腹(なか)は白い毛の、典型的な三毛猫だ。丸い大きな目玉と、鼻先がピンクで、やせた小さな子猫も、日一日と育っていった。
 家の中にも猫の遊び場が必要になった。和室に入り込んで、畳で爪とぎをして畳を傷つける。テーブルに上がってテーブルクロスごと置いてあるものを引きずり下ろしてしまう。ペットショップに行くと、爪とぎができる柱と、その上に登って休めるような台をつけ、猫の棲家(すみか)になるキャットタワーを売っている。しかし居間の中に置くのは場所を取るし、猫くさくなるようで見てくれもよくない。そこで、一昨年、居間の天井、壁、床の張替え改装をしたときに、大工が残していってくれた檜(ひのき)と杉の板が物置にあったので、これを使って自分で作ることにした。居間を入ると右側の壁に、竪型ピアノが置いてある。この上の空間、高さ160センチほどのところに、幅30センチの棚を取り付けた。ピアノの右側から棚に登る三段の階段を付ける。一段が50センチ以上になるから、足の不自由な小さな「チビ」には上がれるか心配だった。雑誌の写真などを見ると、天井の梁(はり)に上がったり、高い塀や、大きな木の枝に登ったりしている姿をよく見かけた。
 きっと猫も喜ぶだろうと、そして大工が張った壁に「キャットタワー」を作るのだから、木の切り口は、細かいサンドペーパーで磨き、仕上げはニスを塗って、丁寧に綺(き)麗に作り上げた。
 毎日少しずつ、木を切り、組立てていったから、出来上がるまで約2ヶ月を要したが…
 キャットタワーができあがるころ、避妊手術をして4ヶ月ほど経っていた。そして、うれしいことに「チビ」の裏返しになっていた後ろ足が、だんだんと元に戻って、ほとんど正常な猫と同じように歩くようになっていた。足先に大きな血豆をつくり、引きずって血を流しながら歩いていたのに、自然の治癒力の不思議なことに喜び、驚かされた。
 檜で作ったキャットタワーの上り下りをすぐに覚えた。棚の上に小さな箱に穴をあけて置いてやると、いたずらをして叱(しか)られると逃げ込み、雨の日など外に出られないときは、棚の上から狩りでもしているような姿勢で下を見つめている。しかし、「チビ」はすっかり家猫になって、キャットタワーを自分の棲家としては利用することはない。普段は、椅子の布団の上や、ソファーの毛布の中で、のどかに暮らしている。
 まったく人見知りをしない猫だから、訪ねてくる人も、「ラッキーな子猫ちゃんだね」
とか、「きっと、チビちゃんは招福の猫だよ」と、言ってくれる。

 (平成21年2月 『ぱんぽん』掲載)

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